ヒッピー・ボーイズ(Hippy Boys)、アグロヴェーターズ(Aggrovators)そしてアップセッターズ(Upsetters)の1人として文字通り数千のジャマイカのヒット曲で演奏した伝説的なベースギタリスト、編曲家、レコード・プロデューサーであり、レーベル、ディフェンダーズ(Defenders)、FAM’Sとコブラ(Cobra)のヒット・レコードをプロデュースした。ファミリー・マン(Family Man)はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & The Wailers)の驚くべき国際的なキャリア全体における音楽の方向性を形作った必要不可欠な存在として世界的に知られている。
1946年11月22日にキングストンのダウンタウンでアストン・フランシス・バレット(Aston Francis Barrett)として誕生したアストンはプレイボーイとして知られ、10代にも関わらず父親になったことから“ファミリー・マン”というあだ名が付いた…そしてその後に続く長い年月、彼はその名前以上の期待に応えた。青年の頃彼は溶接工として生計を立てていた…有名なジャマイカの婉曲法で溶接は所帯持ちの男性にとってぴったりの職業なのだという…ご存知だっただろうか!
バレット兄弟が大ブレークを果たしたのはある夜、ヒッピー・ボーイズのリズム隊がライブに現れなかった時だった。このグループのヴォーカリストだったマックス・ロメオ(Max Romeo)は、「気が乗らなかった」が彼らはこの兄弟にその場を託し、この兄弟はそのパフォーマンスで彼らに大きな感銘を与えたその時から、ヒッピー・ボーイズのリズム隊に定着した。彼らの最初の録音は1968年、ロイド‘チャーマーズ’タイレル(Lloyd Charmers)のために、ユニークス(Uniques)のバッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)の‘For What It’s Worth’のカヴァーのバックを務めたときだった。この楽曲は再構築され、‘Watch This Sound’と名前を変え、キングストンではウィンストン・ロウ(Winston Lawe)のレーベル、トランプ(Trump)から、イギリスではトロージャン(Trojan)からリリースされ大ヒットになった。この兄弟は当時駆け出しだったプロデューサーのリー‘スクラッチ’ペリー(Lee ‘Scratch’ Perry)とバニー‘ストライカー’リー(Bunny‘Striker’ Lee)のセッションで定期的にプレイを始めた。
「ファミリー・マンが兄弟の“カーリー(Carlie)”とプレイした最初の楽曲はスリム・スミスの‘Watch This Sound’だったな。彼らはオルガンを弾き始めたグレン・アダムス(Glen Adams)とギターを弾き始めたレジー(Reggie)と組んでいたんだ。ファミリー・マンとカーリーはアップセッターズ(Upsetters|)とアグロヴェーターズ(Aggrovators)だったって訳さ…」
アルヴァ‘レジー’ルイス(Alva ‘Reggie’ Lewis)をギター、ロイド‘チャーマーズ’タイレルとグレン‘カポ’アダムス(Glen ‘Capo’ Adams)をキーボード、カールトン‘カーリー’バレットをドラム、アストン‘ファミリー・マン’バレットをベースに擁したヒッピー・ボーイズは新しいレゲエのリズムの自他共に認める達人になった。彼らは時折ヒッピー・ボーイズ、時折アグロヴェーターズ、時折アップセッターズとして数え切れないヒットのバックを務めてきたが、クレジットされないこともしばしばあった。彼らはまた‘Dr No Go’や‘Reggae Pressure’など自身のインストゥルメンタル楽曲のヒットを多くソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)のレーベル、ハイ・ノート(High Note)に残している。彼らがハイ・ノートに残したアルバム「Reggae With The Hippy Boys」はジャマイカとイギリスで大いに売れ、現在非常に高価な、また非常に高い評価を受けるコレクターズ・アイテムになっている。
1970年初頭、バレット兄弟はジェームス・ブラウン(James Brown)が1968年にキング(King)からリリースした‘Say It Loud I’m Black’のリメイク、セルフ・プロデュース作品‘Black Progress’のバックとしてボブ・マーリー(Bob Marley)に起用された…“俺たちは自分たちのために物事を行う権利を要求する(we demand the right to do things for ourselves”というリリックのこの楽曲は元々ゴムのスタンプでパワー・レコーズ(Power Records)と押されたブランク盤でリリースされていた。そして同年の夏、ウェイラーズ(Wailers)、ボブ・マーリー、バニー・リヴィングストン(Bunny Livingston)、ピーター・トッシュ(Peter Tosh)は一連のレコーディングでリー‘スクラッチ’ペリーと活動を始め、このレコーディングは結果的にジャマイカ音楽を未知の領域へといざなって行くのだった。 ‘Duppy Conqueror’、‘Small Axe’、‘Man to Man’、‘Soul Rebel’などのレコードにおけるリズムの基礎は偏在するバレット兄弟を擁したスクラッチのアップセッターズによるもので、彼らはこの音楽をより発展させた。スクラッチは“黒人であること”とウェイラーズの楽曲の生々しさを強調することでこの全く新しいサウンドを作り上げ、バニー・リヴィングストンはウェイラーズの国際的なブレークにアップセッターズがどれほど重要だったかを後年思い返した。
1972年の暮れ、ロンドンのアイランド・レコーズ(Island Records)のクリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズにジャマイカでアルバムを録音させるために4,000ポンドの前金を支払った。アルバムのレコーディング用に充てるために前金を支払うのは音楽ビジネスのやり方では基本的なものだが、ジャマイカ人グループに対するこれほどの委託金と資金的な約束は前代未聞だった。ウェイラーズはその委託金を「Catch A Fire」のテープをアイランドに“届ける”ことで返済し、アイランドのこのアルバムに対するマーケティング戦略は見事だった。イギリスにおいてレゲエはほんの少しのポジティブな評価しか受けていなかったが、クリス・ブラックウェルは、ウェイラーズとレゲエを“真の”アンダーグラウンドであり、真剣なまでの反逆の音楽であるという謳い文句でレコード購入者、特に当時影響力を持っていた学生の観衆たちに訴えかけたのだ。そしてそれが成功した!ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはUKロック報道陣たちの人気者になり、雑誌、インタビュー、写真は全ての音楽紙にフィーチャーされ、“プログレッシブ”ミュージックの拠点だったBBCのテレビ番組The Old Grey Whistle Testでこのグループは‘Concrete Jungle’と‘Stir It Up’の素晴らしいパフォーマンスを披露した。
オリジナルのウェイラーズはピーターとバニーがこのグループを脱退した1975年1月に公式に“解散”した。ボブ彼は自身の新しいバッキング・シンガーとしてマーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)、妻であるリタ・マーリー(Rita Marley)、ジュディ・モワット(Judy Mowatt)からなるIスリーズ(I Threes)を募り、またファミリー・マン、カーリーとアール‘ワイヤー’リンド(Earl ‘Wire’ Lindo)をキーボードに加え、彼らはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & The Wailers)として知られるようになった。このグループは同年の夏に‘Trench Town Rock’で2つの凱旋的なロンドンのコンサートを開始、アイランドはクリスマス・シーズンに「Live At The Lyceum」のアルバムをリリースした。リュケイオンのコンサートでのスローで激しく沸き返る‘No Woman No Cry’の演出はボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズにとって極めて重要な、待ち焦がれた国際的なヒット・シングルを与え、またキングストンのゲットーのサウンドとレゲエ・ミュージックの力を更に広い世界にもたらした。70年代の残り、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはひたすら、また絶えず活動し、彼らの音楽とメッセージは前進、上昇し、更なる深み、また更なる領域に達した。1980年4月ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは今日伝説になっている、現在のハラレ、ソールスベリーで行われたZimbabwe Independence Day Concertで、また6月には100,000人のファンたち、このグループ史上最も多くのオーディエンスを集めたミランのSan Siroスタジアムでプレイした。
しかしファミリー・マンはこの時期にどうやってか、時間を見つけて最高級のレコード・セレクションをプロデュースした。この中にはアストン・バレットのレーベル、ディフェンダーズ(Defenders)からのただ1つのリリースになったヴィヴィアン‘ヤビー・ユー’ジャクソン(Vivian ‘Yabby U’ Jackson)による真の名曲‘Love Thy Neighbors’、 FAM’Sからナイヤビンギを中和させた‘Distant Drums’、コブラ(Cobra)から猛烈なインストゥルメンタル‘Eastern Memphis’、タフ・ゴング(Tuff Gong)から‘Work’と‘Guided Missile’、FAM’Sから両A面で、‘Trouble On The Road Again’から‘Trouble Dub’、さらに‘Feel Alright’から‘Dub Feeling’へと変身したウェイラーズのWail N Soul M作品の素晴らしい2枚のリミックスなどがある。ファミリー・マンは決して多産なプロデューサーではなかったが、大きくはないが、完璧に構成されたカタログはミュージシャンとしての彼の活動と同等にどの点をとっても重要である。
参考文献:
Naoki Ienaga: Interview with Bunny ‘Wailer’ Livingston Kingston, Jamaica 19th October 2012
Noel Hawks & Jah Floyd: Reggae Going International 1967 to 1976 The Bunny Striker Lee Story Jamaican Recordings Publishing 2012
David Katz: People Funny Boy The Genius Of Lee ‘Scratch’ Perry Payback Press 2000
Ian McCann: The Complete Guide To The Music Of Bob Marley Omnibus Press 1994
Timothy White: Catch A Fire The Life Of Bob Marley Elm Tree Books 1983
Familyman and the Rebel Armsという名義に相応しい、当時発表されなかった極上のインストルダブ。
ファミリーマンはインストルメンタルにて自身のクリエィティビティを発揮するのに長けているが、この二曲ではミニマルな構成で高い次元の事を軽々と成し遂げている。
その音はまさにファミリーマンのサウンドであり、さすがウェイラーズ・バンドである。
この絶妙なシンセサイザーもファミリーマンがプレイしているのだろう。
このような音楽は他では作られることはあまりなかった。
1. True Born African
2. Unity, Love And Strength
3. Can't You See It's Time
4. Country Woman
5. Earth Must Be Hell
6. Let The Music Play
7. Wake Up Suzy
8. I Stand Before You
9. How Do You Think I Feel
10. Treasure Call Love
11. Isn't It Wrong
12. Writing On The Wall
レゲエ史に名を残す名ヴォーカリスト、ホレス・アンディとウィンストン・・ジャレットがファミリーマン率いるウェイラーズ・バンドと残した奇跡のセッション音源!
レゲエ・ファンのみならず人気高いホレス・アンディによる傑作メロウ・ルーツ・ラバーズ「Unity, Love And Strength」が収録されていることで有名だが、「Earth Must Be Hell」,「Treu Born Africa」,「Let The Music Play」などアルバムを通して70年代中期ルーツ・レゲエの素晴らしい楽曲を収めた名盤!